ケニア追記

先のブログを書いたあと、以下のサイトを読んで、私の心配がいかに表面的であったかを知ったので、追記しておきます。mixiに登録しているヒトしか読めないけど、さらに一部、下に転載させていただきます。


(以下、転載文)

こちらの状況ですが、すごくタイトな厳重警戒態勢、街中、国中に重装備の警官、軍隊?が出ています。今日は自宅からも何度も連続した発砲が聞こえ、これはODM*1集会を行おうとしていたウフルパークに向かって移動したがっている群衆を取り押さえるために警官が発砲していたもようです。ちょっと騒ぎがあがるとすぐに催涙ガスも投げられ、あたりにそのにおいもただよっています。ナイロビのシティセンターは早々に封鎖されてすごい厳戒態勢、ウフルパークにもひとりも人を入れるもんかというすごい数の武装ガードがとりかこんでいます。ケニア国内の主要幹線道路ももちろん、そして地方都市でも、警備に国中の警察が総動員か。という様相です。


こんな状態においても、驚くべきことには、観光客はケニアに来ており、今日も観光客の発着もあり、そしてサファリ観光に出て行くサファリカーもある。十分な報道がされていず、状況を把握しきれていない海外からの観光客が、乗り継ぎのドゥバイの空港でニュースを見てびっくり、ということもあるようですが、これだけ厳戒態勢の中も、サファリカーは移動をすることができ、(もちろん自己責任においてではあるが)、空港からナイロビ市内のホテルへ、そしてナイロビ市内のホテルから国立公園などへサファリへ、という移動が、まるで何事もなかったかのように行われていることを、いったいどう捉えたらいいのか複雑な気持ちでいます。もちろん、ケニアにとっての重要な収入源である観光産業が、こういう状況に打撃を受けられても困るわけであるけど、それでも、あまりにも国の実情とはかけ離れたところにある観光業のあり方や、おそらく多くの外国人にとってはこの国の本当の根底にあるものがまったく見えない、見えずらいという現実をまざまざと知らされます。


おそらくこれは、海外ーケニアという関係性においてだけではなく、ケニア国内でも、どのような生活層に属しているかということで見えてくることはまったく違う。それによって、現状への危機感や、危険度、命の重さまでまったく違うものになってしまうという現実が、あまりにも虚しく苦しい。ケニア国民全体からしたら、ほんの一握りでしかない裕福層が、実質、この国を動かしている中心だというのが現実なのかもしれない。そんな裕福層の人々は、(結局は自分自身もそれに属するわけなのであるけど)、早くから危機対策をすることもでき、この選挙に向けては誰もがしばらくの間は篭城できるだけの食料、水、などを蓄えておくことが常識とされ、実際、それをするだけの金銭的余裕もある。そして、危険が訪れると、ガッチリしたゲートの中にこもってしまってしばらくおこもりになりさえすれば、その身が危険にさらされることはよっぽどのことがない限り避けられる。


だけど私たちのスラムの友人たちはどうだろう。食料やら生活必需品を蓄えて備えるような経済的余裕もなく、そもそもが、今日働かなければ今日食べるものがないというようなギリギリの暮らし、そんなささやかな生活さえも、こういう状況下でもっとも脅かされるのは彼らのような弱者だ。そして、その命は、まるで虫けらのように軽く扱われる。スラムの中でいったい何が起こっていても、まるでそんなことはこの国にとっては関係のないこととでも?


怒りにあばれている暴徒たちの多くは、青年たちだ。青年たちだけではなくてその中には中年層の人々も入っているだろうけれども、でも多くは若者層だと思う。その多くは裕福層の若者たちではなく、いわゆる貧困層の、スラムや村の、働きたくてもまともな仕事もなく、将来に夢を持ちたくても夢や希望を持つことも困難な、鬱屈した生活層がほとんどだろう。裕福層であれば、もっと器用に人生を生き、もっと手際よく自分の身を守っているだろう。彼らが、手に手に、木の枝や棒や石を持ち、パンガ(手斧)を持ち、暴れて、車や建物に火を放って、そして発砲されてバコバコに打ち据えられて・・ という様子を見ていると、涙が出て止まらなくなる。彼らは変化に期待をしたし、希望を持ったし、よくなるはずだと信じたし、何度も裏切られているのにまた信じたのに、また裏切られ、そしてどうせ守るものも失うものもないからこうして怒り暴れる。


これまでの総選挙で、ケニア国民の選挙への参加率はものすごく高い。国民はまだ政治に期待をかけ、投票で政治に参加できることを誇りに思い、若者から老人まで国民すべてが政治に関心を持ち、遠く離れた投票所まで何時間もかけて出かけていく人々、文字も書けない人々、多くの人々が投票所に出かけていき、あまりの手際の悪さにも辛抱強く長蛇の列で待ち続け、そして、誇りを持って一票を投じたのだ。誰もが、民主主義を信じていたし、この一票によって世の中は変わると信じていたし、今は苦しい自分たちの生活にも未来への希望があると信じたし、そういう国民の期待に政治が応えてくれるはずと信じた。そうやって一票を投じてから、みんな、辛抱強く、平和に結果を待っていたのだ。こんな国民たちを大きく裏切って平気な政治家たちなど、いったいなんのための、誰のための政治なんだ?


不正を正して欲しいという申し出も無視した形で、強行に、一方的な発表そして間髪をいれずに就任式、そして当然沸き起こる抗議の動きに対しては絶対的な武力行使で強制的に鎮圧、というのは、いったい全体本当に、民主主義国家の行うことといえるのか? まったく正気の沙汰とは思えない、ニヤニヤと笑顔すら浮かべながら就任式にのぞむキバキ大統領の姿を見ながら、この人は本当に正気なのだろうか?と心底思った。そのあとどういう状況になるか、どれだけ多くの命が失われるかということは、火を見るよりも明らかだったはずだ。


怒りが爆発してあばれる人々に対して、厳重武装した警官たちはどんなしうちをしたかというと、まるで武器も持たず、持っているのは木の枝と石くらいの人々を何度も何度も打ちすえ、けとばし、何度も発砲して、・・・ 誰もがみんな、心ってものがあるんだよ!人間なんだよ!と叫びたくなる。


(転載文2)

生放送を禁止、と、政府から発令があったとたんに、これまで12月27日以来ずっと選挙速報を流し続けていたケニアのテレビ局がすべて、ニュースをやめて、どうでもいいような番組を流しはじめた。不気味だ。家の中に立てこもってテレビだけが情報源だとすると、これだけ見ているとまるで何事もなかったかのように錯覚してしまいそうだ。しかし実際には、あっちの町、こっちの町で火の手があがって、人が殺されているというのに。


ああー不気味だ。と思っていたところに、NTVの画面が、ニュースに戻った。(ナマではなくて録画だけど。)そうしたら、NTVがこの報道規制について、自局のスタッフにどう思うかをインタビューした特集の映像が流れた。NTV局内を回って、次々とスタッフにインタビューしていった特集。


「正直、国に裏切られた気分になった。我々はプロの報道者だ。我々が何を報道するかということは国には信頼してまかせてもらいたい。だいたいが、外ではケニア人が死んでいるんだ。それをナマで報道できないというのはどういうことだ。言論の自由が侵害されている。ケニア人には、ケニアで起こっていることを知る権利があるし、我々には知らせる責任がある」
「プロの報道者になるために学校に行って学んだが、その学んだことがすべてウソじゃないかと思わされてショックだった。学校では報道の意義と正義を学んだのだ。正義のために報道できなくて規制を受けて監視されるのであればなんのための報道なのか」


と、このような意見を次から次へと、あいまあいまに「これはナマではありません。録画です。」と何度もちゃちゃ入れているのがユーモラスで、明るくて前向きで、そして辛口に言いたいことを言っていて、とても良いインタビューだった。報道規制が出てから瞬時に反応して、このインタビューを撮影して超特急で編集して流したのだろう。このわけのわからない状況に対して、せめてもの抵抗、というかんじ。若いスタッフもえらい人もインタビューに答えていた。


私はテレビ画面でそのインタビューを見ていて、感じたことがいろいろあった。理不尽なことが山のようにあるアフリカだけれども、ケニアにはこんなにフェアな考え方をしている人々もたくさんいる。そしてみんな当たり前のように、当然のように、平和を望んでいる。フットワーク軽いナイロビの新世代の若者たち、こうして最先端で仕事している人々の中には、部族主義という古い頭はない。違う部族の人間でも、一緒に仕事をして友達で仲間として一緒に生きている。当たり前のことだ。欲しいのは闘いのない平和な世の中だし、しあわせに笑いあって暮らせる世の中だし、誰も銃声を聞きたくない。こんなこと当たり前。当たり前のことを当たり前に言い続けなけりゃダメだ。


(ナマじゃなくて録画で)暴徒があばれて火をつけて街が炎上して警官が発砲して大騒ぎになっている映像も流れた。キスムは、車も建物も燃えて火の海になっているような映像だった。モンバサでも火が放たれていた。暴徒は怖い形相で暴れていた。国際ニュースでこういう映像ばっかりが何度も何度も流されると、ケニアはどんなに恐ろしい国かと世界の人々は思うだろう。実際に起こっていることだから伝えなければならないけれども、部分的にしか知らされない報道はほんとに怖い。それと、心理的に操作されて集団心理で闘いが膨張していくのもほんとに怖い。


この報道規制に関してのインタビューが流れたあとで、今日ケニアの各地で(日曜日の教会で)みんなが手を取り合って祈りあっている姿の映像が流れた。そして、我々は平和を作れると信じなければいけないと、発言している人がいた。平和は待っていてやってくるものではなくて、ひとりひとりが真剣に意識を持って平和を願って祈って念じて実践して作るものだ。人間は平和を作れると信じて前向きに進んでいく力が強いか、ネガティブな方向に流されて巻き込まれていく力が強いか、そのどっちかの勝負なんだ。と思った。ケニアのことだけじゃなくて、世界中みんな同じだ。


平和を祈るこころを、その意志を強く持って、この世に実現していくのが大事なんだ。祈ることしかできないときはほんとにもどかしいけれども、この、真剣に祈るということがほんとに大事なんだと思った。どれだけ強く念じることができるかが勝負なんじゃないか。理不尽なことに負けちゃいけない。とにかくみんな、無事でいてください。まだ次の動きがどう出るか、落ち着かない気持ちで待っているところですが、またお知らせしていきます。祈っててください。

(転載文終了)

*1:今回の選挙で敗れた野党最大派閥

放浪記その2

新年の挨拶を込めて家族に電話したところ、皆が口々に滑りに行っていたのかと聞く。何事かと思えば、冬休みに入って、行き先を告げぬままにブログの更新が途絶えたため、これは怪しいと睨んでいたらしい。さすが我が血の繋がった家族と言うべきか、信用されたものだと言うべきか。大丈夫、まだ滑ってませんよ。


で、私が南で世俗の穢れを落と(さんと)しているうちに、ケニアやナイジェリアの治安が悪化していた。ケニアでは、年末に行われた大統領選挙の結果に対する不正疑惑が暴動と化し、ナイジェリアでは反政府武装勢力の襲撃などの政情不安が世界的な石油価格の高騰の引き金となっている。昔だったらああそう、ですんだ話かもしれないが、今は違う。ケニアとナイジェリアは、サハラ以南のアフリカの中で、比較的安定して成長してきた優等生だ。その2国でさえ、という思いとともに、その波及効果が恐ろしい。ケニアには1月早々に別のEPD WSチームが行く予定だった。大統領選挙による混乱が最大のリスクと友人が言っていたのはその通りとなってしまったが、各国が渡航延期勧告をする中、彼らはどうなってしまうのだろう。また、物資のほとんどをケニア経由で輸入しているウガンダはそのあおりを受けており、なんと燃料の枯渇から、国内航空便の運行が全便キャンセルとなったそうだ。ガソリンも軒並み不足・高騰しているらしい。ウガンダで中古車の輸入販売をしている友人は、商売にならないのではないだろうか。そもそも、車をモンバサから運べているのだろうか。正月休みも返上して忙しく働いていたというのに。ナイジェリアでも友人が働いている。心配と同時に、とてもやるせない思いになる。どうか一刻も早く沈静化しますよう。


放浪記の続きはNew Mexico州にあるWhite Sands国定公園。赤茶けた荒野の真ん中に突如現れる真っ白い砂漠です。

雪山のようにも見えるけど砂

静寂の世界


晦日の夕日

染まる大地

名残り空


浮世離れした風景の中で、なんというか本当に癒された旅でした。自然の中で、萎縮した心がほぐれるような、涙の出そうな瞬間が好きで田舎に行くのですが、日本の風景は、そこで暮らす人々の悲哀のようなものを感じさせるのに対し、アメリカの景色はまた全然違って、更に人間生活から離れた、大地の鼓動に触れる、というのに近い気がしました。日本の風景はやっぱり大好きなんですけど。大自然に抱かれて涙の出そうな瞬間を味わいながら、ああ、こういうものを守るために生きてる、という以上に、ああ、こういう時間のために生きてる、と感じたのでした。

新年挨拶−放浪記その1

新年明けましておめでとうございます。おかげさまで、今年は怪我もなく無事に年を越すことが出来ました(汗)。NYに来てはや一年半、ほとんどの方とすっかり御無沙汰しているわけですが、こうして年の節目に懐かしい人達からメールや年賀状をいただくと、本当にありがたく、自戒の念を込めて、ヒトとヒトとは何の努力もなしに漫然と繋がっている訳ではないのだと思います。感謝です。


この年末年始は、いろいろ予定がすったもんだした挙句、結局、メキシコとアメリカ南部を周遊してきました。Heavy dutyで寝不足続きだった先学期の反動から、今回の旅のテーマは「癒し」。日々の雑多な物事からしばし逃れて、とにかくぼーっと心を洗われたい、ということで、泊まる宿だけ決めて、あとはレンタカーで適当に動くことに。


相変わらず時系列無視してますが、適宜アップしていきます。まずはアメリカの国立公園編。


アメリカの旅行誌で全米で最も美しい場所に選ばれたというアリゾナ州Sedonaの赤い渓谷


展望台に立つ教会

飛行機雲


Saguaro National Park。Saguaro(サワロ)とは、アメリカ最大のハシラサボテンの一種。高さ10-15mになるのだとか。


とりあえずでかい


違うサボテンも

サボテンの花(咲いたあと)

インターン報告−UBS編

ウガンダから、「いつウガンダに帰ってくるんだ」という便りが届いた。今でもこうして時々、NEMAやUNDPで一緒に働いた仲間から、I miss youとメールが来る。本当に嬉しくありがたく、今すぐにでも帰りたくなる。3月にマダガスカルに行くときに、寄りたいけど、可能か...?策を練らねば...。


期末試験は昨日ぶじ終了。解放感に包まれて幸せいっぱいだったのも束の間(約2時間)、そのマダガスカルに行くEPDワークショップでやらなくてはならないことが山積みなことを再認識。WaterAidがクリスマス休暇に入る前の今週中に、2週間後に発つ先発隊のアレンジを済ませなければならない。現実に引き戻される。く...。


で、今日から3日連続UBSでインターン。UBSでのインターンはおもしろく、いろいろ思うことがあるのだけど、最近のばたばたでなかなかここに書けなかった。でも、「書き留めなければ忘れるぞ」という、予言か呪いのような友人の言葉を真摯に受け止めて、今日はちょっと書いておきたい。


まず感じるのは、私の働いているUBSの投資部門環境リスク部の仕事は、結構シンプルだということ。もちろん活動は多岐に渡るのだけど、基本は、

  • ビジネス(投資活動)に伴って発生する環境リスクを減らす
  • 環境に関わるビジネスチャンスを発掘する
  • そのための社員教育・意識啓発・広報

ということに尽きる。全ては、profit(利潤)やreputation(評判)を最大化するためのリスク回避と機会拡大ということで、目指すところがはっきりしていると思う。役所だと、環境と名のつくものは全て扱わねばと総花的なところがあるし、利益という指標もないので、その点軸がぶれやすく、目指すべきゴールを見誤る危険がある。同じ環境と呼んでも、その対象は限定的だ。見方が明らかに違うなと思う。


で、実際の仕事はといえば、...なんだか難しいことを頼まれる。いや、彼らは難しいことを頼んでるつもりはないのだろうけど。「今日の午後にあるエネルギー会社とミーティングするから、その会社と競合他社の、環境に対するpositioning(スタンス)をメモにして」「CDM(クリーン開発メカニズム)の各プロセスにおいてUBSがどんなビジネスチャンスを持ちうるか、示してみて」「アジア各国のCDMプロジェクトについて、わが社の競合他社の、Investment Bank, Asset Management, Wealth Managementの分野でのプレゼンスは?」


...。だって、CDMのプロセスは分かるけど、UBSがどうやって飯を食ってるのか未だによく分からないんですもの。Investment Bank, Asset Management, Wealth Managementの違いって何? 3回ぐらい説明してもらったけど、未だによーわからん(涙)。多分、日本語でも聞いても分からないと思うんですよね...。今までかなり素通りしてきた分野だし。traderとbrokerの違いを初めて知ったぞ。というわけで、そもそもの投資銀行に対する理解の低さのために苦労している気がする。


まーしかし、試行錯誤でなんか作って見てもらうと、視点が違うためもあるのか、おもしろがってくれる。で、同じCDMプロジェクトを見ても、政府と見方が違うので、こっちもおもしろい。政府では、プロジェクトが軌道に乗って順調に二酸化炭素排出量が削減されてれば、もうそのプロジェクトにほとんど興味はないけど(クレジットの買い付けをやる部署を除いて)、UBSではクレジットのdistribution(販売方法)に細かく注意がいくもんな。その一方で、CDMの過程で必要なvalidationやverificationやcertificationは全てtechnicalなこととして片付けられる(興味がない)。


でも、最初に言ったこととやや矛盾するけど、「なんでそんなことするの?UBSのメリットはなに?」ってことも結構ある。てかこの質問を何度も繰り返ししている。で、説明を聞くと、ふーんそうかもねー、と思うのだけど、そこらへんは、まだ私のUBSの事業活動に対する理解が足りないのだろう。


うちの部署は直接取引に関わっているわけではないし、そもそもスタッフがロンドンとNYと合わせて3人しかいないので、かなり忙しそうだけど、UBS全体で見ると、アメリカの金融市場の落ち込みのあおりを受けて非常に景気が悪いらしい。うちのフロアでは、度重なるリストラ・自主退職等のせいなのか、机の半分ぐらいが空席。サブプライム問題の被害が直撃した友人の部署を先日訪問したときには、幹部陣の席がすべて一掃されて空になってて、ショッキングだった(でも友人たちは結構飄々としていた)。


上司との会話は電話かチャットがメインなので(しかも電話会議多い)、電話の度に非常に緊張していたのだけど、最近ようやく徐々に慣れてきた。でも、やっぱり聞き逃してることがいっぱいあるし、その点nativeに比べると非効率で(自身の)競争力がないよなー、と思う。

雪とやーさん

ただいま期末試験の真っ最中です。そして外は大雪。あー、こんだけ降ると、勉強なんかしてんと雪山行きたいなー...。いや、すみません。


最近見かけた変な日本語。態度て!! 礼を尊ぶヤクザか...?

痛い日々

今週は、まったくもってhorribleだった。先週末に友人に会いにボストンに行って、日曜に帰ってきて月曜に試験、水曜にレポート期限と、もともと結構詰まったスケジュールになってはいたのだが、そこに悲劇が...。


月曜:家の近所で買ってきた豆のチリスープ・ライスがけを昼に食べながら試験勉強をしていると、何やら猛烈にむかむかと込み上げてくるものが。なんだか、胃が、食べたものを一生懸命押し戻そうとしているようだった。なんだろう、食べ過ぎたかなーと思っていると、強烈な下痢、続いて嘔吐。もはやトイレから離れられない。しかし試験の時間は迫るので、悲壮な面持ちで学校へ向かう。1時間半の試験を40分で終わらせ、学校のトイレに駆け込んで再度吐く。発熱と寒気を伴ってきて、事態はどんどん悪化。家に帰り着いた頃には、もはや水を飲んでも吐くといった状態。


もはや吐けるものは出しきった(すみません...)ところで、ようやく少しだけ落ち着いて、これは食中毒だと確信。ボストンで一緒に食事をした友人が心配になって連絡してみるも、大丈夫とのことなので、どうも昼の豆スープが悪くなっていたらしい。友人の母によれば、豆は当たると怖いんだとか。その夜は、ベッドに横たわって、うめきもだえる以外に術がなかった。


火曜:下痢と嘔吐はややおさまったものの、体中が衰弱し、食べると吐き気に襲われて、まだ何も食べられない。で、何も食べてないので、貧血になるのか、立ち上がると頭が潰されるように痛い。しかし、明日提出のレポートを書かないといけないため、ソファにへばりつきながら、全く集中できない頭でひーひーと書く。拷問に近い。夜、友人が買ってきてくれたポカリスウェットやらお粥やら雑炊やらを食べて、ようやく徐々に復活の兆し。


水曜:ほぼ徹夜でレポートを書き上げて、ふらふらと授業へ。食中毒のほうはかなり回復したが、この日になって腰痛が激しく悪化。もともと寝違えたのかなんなのか前から痛いなとは思っていたものの、今や、腰もかがめられない状態に。おばあさんだね...。さらには、試験とレポートを乗り切って、ようやく安堵して寝ようとしたところで、今度は歯(というか歯ぐき)が猛烈に痛くなってきた。おおい、私の体はどうなっているんだ。明日はインターン初日だっていうのに!*1


どうやら、働いていた頃から、私の体は寝不足と疲労が過度に溜まると、最終的な痛みは歯に向かうらしい。歯ぐきが過敏になって炎症を起こし、噛むと痛みが走るのに加えて、ずっとしくしく痛む。昔いろいろ試したけど、やっかいなことにこれに効く薬がない。働いていた頃は、寝るときぐらい、歯を噛み締める圧迫から休ませるようにと医者に言われてマウスピースをして寝ていた時期もあった。で、このマウスピースを持ってきたはずなので探したのだけど、留学してからお世話になることなんて皆無だったため、見つからない。


木曜:結局、歯の痛みで昨日は満足に寝れず、連日の寝不足でぼーっとした頭でインターン初出勤。机をもらってパソコンのセットアップをしたり、ロンドンとのteleconferenceをしつつインターンでの仕事内容のブリーフを受け、他の部署の関係するスタッフとワーキングランチをしたり。仕事自体はおもしろそうなんだけど、いかんせん、今日は疲れと眠気と歯痛でなんともままならない。ワーキングランチは、ものを食べることによる強烈な歯の痛みを隠すのに必死。


その後、国連フォーラムの勉強会に出たあと、ふらふらと家に帰ると、なにやら2つ走っているグループプロジェクトで急ぎのメールがいっぱい。UBSではウェブメイルへのアクセスが制限されているので、勤務中にメールを見れないのだが、その間にいろいろストレスフルなことになっていた。最後の力を振り絞って対応するも、もう体力と精神力はかなり限界。


金曜:それでも朝9時からの授業とグループミーティングへ。相変わらず腰も歯も痛くてものも満足に食べられないが、今日さえ乗り切れば寝れるという希望だけを胸に、なんとか授業を乗り越えて、ようやく今、ベッドの上からこれを書いているわけです。ああ、やっと寝れる...。我ながら、よく頑張ったよ、うん...。


そんなこんなで、○痛、と呼べるものはほぼ制覇した一週間でした。先月末から怒涛のスケジュールを走り続けて、だいぶガタが来ているのでしょう。それにしても、この一件で判明したことは、アメリカでは、結構皆普通に食中毒の被害に逢っているということ。しかももうこんなに寒いのに。まじ、勘弁してくれー。こないだは、蛇口をひねったらまっ茶色な水がどどどっーと出てきたし、やっぱりこの国は途上国だと思ってかからないといけないのだ、ということを改めて悟ったのでした。


あと、ポカリ重要。まじ命の水。友人に感謝。

*1:supervisorと相談の結果、開始時期を一週間ずらすことになったのです。

マダガスカル再び

学校で私が専攻しているEconomic and Political Developmentのカリキュラムでは、修士課程の最後に論文を書くか、実際のクライアントについて短期コンサルタントとして働くワークショップのどちらかを選択できるのですが、多くの学生がワークショップを選びます。ワークショップでは、5-6人のチームを組んで、国際機関やNGO、民間企業などfacultyが探してきたクライアントのプロジェクトに取り組み、冬休みか春休みを使って現地に赴き、フィールド調査をしてレポートをまとめます。


このワークショップ、フィールド調査の期間は1週間程度と極めて限られている中での遠隔情報収集に、我の強いアメリカ人たちとのチームワークと、負荷が高いことで有名なのですが、ちょうど今の時期、プロジェクトのラインアップが発表されて各人が希望するものに応募し、それを踏まえたチーム分けの発表がありました。


で、私が希望したのは、国際NGO Wateraidがマダガスカルで行っている水と衛生のプロジェクトの経済・社会効果評価プロジェクト。マダガスカル、実に3度目。よほど縁があるのですね...。しかし、国際機関以外のクライアントで環境関係、出来れば水・衛生関係で探していた私にとって、晴れて希望が通ったので、とりあえず嬉しいです。また来年、マダガスカルの土を踏むことになりそうです。


マガダスカルのバオバブ街道

カメハメ波を出さんと踏ん張っているワオキツネザル

マダガスカルでは人間もカメハメ波を出せる


以下、まったくの個人メッセージになりますが...。
のぞみさーん、ってこれ読んでおられるかしら...。今年はウガンダでも一つプロジェクトがあって、おお、ウガンダ!!と思って、本当にまた帰りたくて迷ったのですが、残念ながらテーマが私には全く関心がないもので...(涙)。ウガンダのプロジェクトは、Women’s Commission for Refugee Women and Childrenによる、ウガンダ北部の難民キャンプでの若者の職業訓練プロジェクトです。もし何か繋がることでもあったら、助けてあげてくだサーイ。


私は、仕方ない、ウガンダはプライベートで...。ぶつぶつ。なんだか、国連フォーラム幹事の先輩方が冬に集結する計画があるそうで、楽しそうですね!