ヒッチハイク

先週末は国連フォーラムの幹事会をコーディネーター宅で行うため、NYの郊外に行ってました。この日は、今年卒業されNYを離れられる学生幹事の皆さんにとっては最後の幹事会ということで、残る人々でおつかれさまの気持ちを込めて、こっそり花束を用意することに。


で、私は花屋から花束をピックアップして、皆より一足先にコーディネーター宅に着いて花束を隠すという大役を仰せつかったのですが、これが苦難の始まりでした...。まず、朝から友人とのチャットに捕まって出足が遅れる。このままでは一時間に一本の電車に乗り遅れると思い、タクシーに乗るも運転手さんが込んでいるからと選んだ抜け道は行き止まり(おい)。彷徨ったあげくに最初の道に戻る。まあでも、結果的に電車には間に合ったし、不満そうにしてたら安くしてくれたので、ここまではまだ良かった。


で、時間になってホームに到着した電車に乗るも、ホームに残っている人が結構いることに一抹の不安を覚える。隣の席の人に「この電車は○○まで行くか」と聞いてみるも、「知らないな。車掌に聞いてみなよ」と言われる。なんとなく不安になりつつも、久しぶりに見る車窓からの田舎の風景に心癒される。そのうち車掌が切符の確認に来たので同じ質問をすると、「あらー、行かないわよ」とあっさり。「電車で戻るか、タクシーに乗んなさい」と言われ、急いで次の停車駅で降りたところ、そこは雄大な河のほとりの広大な自然の中に立つ無人駅。いや、そりゃあNY生活では田舎を恋焦がれていましたけど、今はいらん。


列車は進むも退がるも一時間後。近くを彷徨ってもタクシーどころか車の通りもまばら。花束を抱えて彷徨う挙動不審ぶりを見かねて話しかけてきたお兄さんに一言、「ここじゃ大きな通りに出たってタクシーは通んないよ!」。


むむ、これはやばい。この状況は、地元で寝過ごして草津線の駅で降りてしまった状況に酷似している(超ローカルネタ)。一時間後に来る電車でもと来た駅まで戻って、更に一時間後に来る正しい列車に乗ったら、一足先に着くどころか大幅に遅刻。しかも私は幹事会の議事録担当なのだ。むー、むむー。


コーディネーター宅に泣きの電話を入れると、2つ先のヨンカーという駅に行けばタクシーが拾えるし、距離も割と近いと言う。でも、進む電車も一時間待ち。そこで私の脳裏に浮かんだのは、ヒッチハイク。これしかない(突っ込みたい気持ちは分かりますが、ここは一つ、抑えてください)。


という訳で、駅を出て近くの通りに出てみる。とはいえ、電波少年でもないし、走っている車を指を立てて呼び止めるような勇気はない。と、T字路で待てば、車が減速するから声かけやすいよな。と思い、T字路で何台かの車に近寄って話しかける。「間違った電車に乗っちゃって困ってるんだけど、ヨンカーまで行きませんか?」花束を抱えて忍び寄る日本人。しかもヒッチハイク希望。怪しいことこの上なし。


3-4台の車に「行かないのよ、ごめんね」と断られているうちに、向こうからおじいちゃんが話しかけてきた。「どこ行きたいの?」「ヨンカーなんだけど...。」「乗んなさい!」おお。このおじいちゃん、全然違う方向だったにも関わらず、わざわざ連れて行ってくれました。しかも聞けば、生物専攻(同じ)で、昔理科の先生をしていて、うちの大学のTeachers Collegeでも教えてたことがあるとか。ユダヤ人で、息子の一人はイスラエルで勉強しているとか。奥さんは先に亡くなって、今は淋しくしているのだとか。


そんなこんなで、親切にヨンカーまで乗せていただき、無事タクシーに乗り換えて、なんとか皆より先にコーディネーター宅に辿り着くことができました(汗)。その間、道を尋ねた人多数。皆さん良い方でした...。


しかし、ここで更なる問題発覚。別の幹事からの電話で、花束が一本足りないことが判明。なんと!近くの花屋に花束を買いに走る。と、ちょうど列車が到着した他のメンバーに会っちゃうし...。なぜ先に居るのか、そしてなぜ家から反対方向に歩こうとするのか、怪しさ満点だし...。そんな訳で幹事会が始まるまでに、既に満身創痍だったのでした(自業自得)。


そして、この幹事会をもって、国連フォーラムの勉強会担当から事務局担当になりました。しばらくは勉強会担当も兼任しますが。そもそもなんでそうなったのか経緯はよくワカリマセンが、やってほしいと言われて引き受けた以上はやります。気が利かずロジがキライな(そして、このぼけぶりにより幹事会に遅刻しそうだった)私にはとても向いてない気がしますけどいいんでしょうかね..。


いつもながらお騒がせな行動ですみません。皆さんの善意と単なる幸運に支えられてここまで生きているということ、肝に銘じておきます。むしろ肝だけが据わっていくのが問題ですか、そうですか。