救急飛行機での帰還

普通の旅客機に乗れないために、救急飛行機(air ambulance)で帰ることになったことは入院3日目に書いたとおりですが、今日がその日。友人達からも、見舞いの言葉とともに救急飛行機の様子は報告するようにとのことでしたので、ちゃんと書きましょう。


朝は、約束どおり、8時過ぎに救急車がホテルまで迎えに来ました。同乗者はダメということで、父は別途旅客機でNY入りすることになったのですが、あの重いスノーボードケースを父に持たせるのはさすがにちょっとということで、ムリをお願いして、スノーボードーケースも一緒に救急飛行機に乗せてもらうことに(ほんとは、機内持ち込み用の手荷物ぐらいの大きさまでしかダメとのことでした)。私が父と一緒に歩いてホテルから出てきたので、救急隊員の方に「どっちが患者?」と聞かれました(笑)。


そんな状態なので、救急車でも普通に後部の座席に座らされたのですが、さすがに長時間座って揺られているのはしんどそうだったので、自己申告で(笑)寝かせてもらうことに。


30分ほどでバンクーバーの空港に着いたら、救急車で飛行機のすぐ隣まで横付けしました。飛行機は出発準備の最終段階で、クルーを一人ずつ紹介されて、トイレに行ったらすぐにもう出発。早い。クルーの皆さんも「患者が歩いてきたぞ」と笑っていました...。


飛行機は、コックピットを入れて8-10人乗りぐらいの小型ジェット機で、座席2つを潰して寝台が作ってあるような状態。寝台は大したものではなくて、担架と同じ、狭くて固い簡易なものです。同乗したクルーは、機長、看護婦、パイロット2名の計4名。看護婦さんというと白衣のイメージですが、この救急飛行機専門という看護婦さんは、紋章のついたパイロット服にサングラス、耳には携帯のマイクをひっかけ、黒の編み上げブーツというそれはかっこいいおばちゃんでした...。
看護婦さんはアメリカ人、機長はポーランド人、パイロットはニュージーランドとオランダという、国際色豊かな顔ぶれで、機長さんはこの道もう10年以上だとか。皆さん、NYのホテルから飛んできたということで、日々の生活は、3週間はホテル滞在と救急飛行機での輸送を繰り返し、残りの2週間は家に帰って休みを取り、また3週間は仕事...というサイクルらしいです。こういう仕事もあるんだなぁと妙に感心。


飛行機はバンクーバーを飛び立ったあと、ノースダコタで一時着陸して、給油とお昼ごはんの詰め込み。飛行機って本来、こんなにも機動性の高い乗り物だったんだなぁとつくづく思いました。飛行場での待ち時間もまるでなしだし、乗り込んでから離陸もすぐです。普段の飛行機での融通の悪さは、大量の旅客を輸送することによる代償なんだなぁと当たり前ながら実感したのでした。


飛行機の中ではくつろいだもので、私は担架に寝て常時血圧と心拍数は測定しているものの、お昼の前には「ジャンクフードあるよ〜」と看護婦さんにアメリカのお菓子をもらい(この頃には食欲が回復しつつあったのでおいしかった)、お昼のハムサンドを食べて、看護婦さんは必要な書類を作ったら昼寝してるし、機長さんは子供さんの写真(18歳の息子と6ヶ月の息子!とっても器量良しのハンサムくんでした)をパソコンで見せてくれるし、とても救急飛行機とは思えない和やかな旅でした...。


6時間ほどでNYに着き、待機していた救急車に乗り換えて移動。ここらへん、アメリカにしては連携がしっかりしてます。どこの空港?と聞いたら、VIP専用の小型空港だとかで、マンハッタンのすぐ近く(場所はよく分からなかった)でした。一生分のVIP待遇を使い果たしてしまった気がします。


救急車の中で、隊員がずっと携帯でお喋りしているのは、アメリカに戻ってきたなって感じでした。ちなみに、ノンネイティブに対する扱いも、カナダとアメリカでは違うと感じます。大雑把に言えばカナダのほうが親切。SIPAの友人達が、アメリカもカナダもいろんな民族が一緒に暮らしているけれど、より融合しているのはカナダで、実はほとんど融合してないのがアメリカと言っていたのを思い出しました。もちろん、アメリカでも都市と田舎では全然違うみたいです。飛行機のクルーの人々も、田舎に行けば行くほど人々が親切で暖かくて良いよね、という点で合意したのでした。


で、30分ほどで自宅のアパートに到着して、救急隊員に自分の部屋までスノーボードを運んでもらって(なにさまだ)、一連の旅はようやく終了。これでタダ(全額保険会社負担)なんだから、コロンビア大学に感謝しないとです。大まかな費用は聞いたけど、すごい額でした。そして桁を忘れました、すみません...。


自分の家に帰ってきたときには、さすがにほっとしました。飢え死にが心配されたスター*1がみゃーみゃーと出迎えてくれたのも嬉しかった。休み休み、荷物をほどいて、洗濯して、(床に座る機会が増えるので)部屋の掃除をして、父が泊まる部屋を整理したりしていたら、父が空港から到着。期せずして、NYでの生活ぶりを父に初公開することになったのでした。

*1:入院中にコロンビア大の友人にお願いして、管理人に部屋の鍵を開けてもらって餌をあげてもらった。