こまめちゃん

今日は大切な友人の誕生日でした。おめでとう!


NYに来てから、私がメールを返信すると、そのレスポンスの早さ(より正確には、きちんと返事が返ってくること)に驚きの声を多くの友人からいただきます(ヒマなのかというコメントも)。
確かに時間にはかなり自由度があります。毎日夜遅くまで勉強してはいますが、職場の生活に比べればなんと人間らしいことか。(まあ、こんなことを言ってられるのも学校が本格的に始まるまでかもしれませんが。)


皮肉なことに、家族との連絡もこちらに来て格段に増えました。
とともに、上記のようなコメントをいただくにつけ、これまでの対応がいかにひどかったかということが身にしみます。。


在職時代を思い返すに、確かにあの生活でまめな連絡は望めないと自己正当化しているところもありますし、今後の自分の人生を考えるに、そうした生活に身を委ねている期間のほうが長いんだろうなぁという一種確信に似た思いもあります。


それが良いとは決して言いませんが、その代償の大きさを意識することで、それと引き換えに追い求めるものに対するよりシビアな姿勢に繋げたいと思っています。


そして、今は幸いにも、自分がこれまで逸してきたものを確認する機会を得たわけなので、その感覚をよく覚えておきたいなと思います。
例えば、メールを打って返事が返ってこないと淋しいなーという当たり前の感情を前に、自分がやってきたことを省みると(笑)。
まあ、不精な性格は変わらないので、改心してこまめになる、ということは期待できないかと思います。すみません。