驚きの

今日はちょっといいことがあった。


眠い目をこすりながら行った国際関係学基礎論(Conceptual Foundations)のディスカッションのクラスで、中間試験時に提出したペーパーが返却されたのだけれど、驚くべきことに、Aが付いていた。
これはSIPAの国際関係学修士の全生徒が受ける必修科目なので、並み居るネイティブの中で、国際関係論にこれまで触ったこともない自分が良い点を貰うことなど考えられなかったので、なんだか信じられない感が拭えないのだけど、とりあえず嬉しい。


お粗末なwriting skillではなくて、内容を評価してくれたらしい(いや、内容も甚だ怪しかったのだけど)TAと、提出前に、英語を直すとともにコメントをくれたwriting tutorに感謝。


ディスカッションのクラスも、TAの人柄のおかげもあって和気藹々としており、回を重ねる度に仲良くなるので好きなクラスである。最近は、ちゃんと課題論文を読んでこなくても「なんとなく」発言が出来るのに甘えてreadingを怠り気味だったのだけど、良い励ましをもらったと思って、引き続き頑張ろう。

質問文化

話は変わって、日本でタウンミーティングでの「やらせ質問」がニュースになっているみたいですが、本当に謝礼まで払って質問を依頼していたとしたら、それはまた御丁寧に…と思うけれど、そうでもしないとなかなか質問が出ないという現状をそもそも考え直すべきではなかろうか(*口火を切るためのサクラと、質問内容を細かに指導する質問と両方あるみたいですが、ここではサクラのほうを指してます)。


こちらの人は本当によく質問するというか、質問になっていようがなかろうが自分の考えを(たらたらと)発言するのが好きだ。先のジェフェリーサックスの講演なんかでも、会場から答え切れない手が挙がる。先生に質問してんのに他の生徒が答えたりするし。
アジアの生徒は「先生の話は拝聴する」教育で育っていて、批判的思考やディベートの訓練もほとんど受けていないため最初は戸惑うのだけれど、あの意見・質問文化はもう少し取り入れても良いのじゃなかろうか。


だって、そもそもタウンミーティングって大臣と対話するために集まっているのに、サクラを用意しないと質問が出ないなんて変じゃないか。もっと、ばかでもちょんでもshyにならずに自分の意見を述べる教育があっていいと思う。先生の話や生徒の意見に対して「それは違うだろ…」とか思いながら表立っては何も言わないほうが、陰湿で不健全ではないか。